お久しぶりな方も始めましての方もこんにちは。
日々分裂と抗争に明け暮れる世紀末組織・りべるたん企画広報部の菅谷です(安定の財務部、鉄の団結の弾圧対策部、和気あいあいの厚生部とは一味違います)。

ツイッターなどでアナウンスされているように東洋大学の学祭にて「11・3脱就活シンポジウム」というイベントが開催されます。このイベントには「完全自殺マニュアル」の著者である鶴見 済さんを筆頭に豪華絢爛、ひと癖もふた癖もある魅力的なパネラーが登場します。行って損はなし、ここでしか聞けない生き抜くための知恵袋が数十発炸裂すること間違いなしのイベントです!

(「オラ、そんなことよりお酒が飲みたいだ」という飲酒派の皆様は、同日私の愛する母校法政大学で開催される自主乾杯祭に参加しましょう←ちょっと母校の宣伝)

で、話を戻しますと、このシンポジウムにわたくし菅谷がりべるたん代表でパネラーとして参加することになっています。

 

菅谷圭祐 26歳。

菅谷圭祐 26歳。

パネラーになってしまった以上は、お客さんが一人でも増えるように嫌らしく営業をかけていこうと思っています。この文章も端的に言えば営業文章です。結論は「11・3脱就活シンポジウム」に参加しよう!という一点で決まっています。

「なんだ営業か、ページ閉じよっ」と思ってしまうかもしれませんが(僕なら思います)、頑張って面白いことをかけるようにするので、この先もちょぴっとだけでも読んでももらえますと嬉しいです。

 

追加

「11・3脱就活シンポジウム」に参加しよう☆

 

本イベントでは「脱就活」というイベント名が掲げられています。「脱就活」、この言葉の定義は意外に難しかったり、曖昧だったりします。

「就職活動をしないけれど、既存の賃金労働に従事することなのか」「就職活動もしないし、既存の賃金労働からも(出来る限り)脱する」ことなのか、この辺は人によって意見が分かれるところなのではないでしょうか。

「入り口」のみか、あるいはその構造全てなのか…。
私個人の現状を申し上げますと、頭の中で考えていること、将来設計はどうあれ、現状は前者に属します。

私は学生時代、学生運動を少々嗜んでおり(この辺を参照のこと)、脱就活だなんだという前に、そもそも就職活動から離れたところで生活していました。晴れて進路未定のまま6年かけて大学を卒業して、毎日楽しく暮らしていたのですが、ご縁がありライターの仕事を頂きました。

私は高校生のころから「どこのラーメンがおいしいとか、どこの風俗嬢が床上手とか、どこの小学校で運動会があった」という当たり障りのない世間に波風を立てないことを書くライターになりたいという夢をもっていたので、夢の第一歩!と思い、このお話をお受けして、現在は主収入をライター業として生活しています。

 

私個人の話が長くなってしまいましたが、真面目に働いてみると会社というのはとても不思議なところだなと改めて気づきます。

1日の半分以上の時間を拘束される生活を大体週5日強いられ、ときには上司にガチで涙が出そうになるほど怒られる。ひとつの目的(大抵の場合は収益)のために、個々人が部品のようになり、与えられた仕事を全うする。

同様の態度で、学生運動(特に無党派と呼ばれる政治セクトに属さない学生の場合)や現在私が携わっているりべるたんという共同運営実験スペースの運営に臨んだ場合、起こることは目に見えています。

 

関係性は瞬く間に崩れさり、それまで積み上げてきたものは一瞬にして瓦解します。

 

私は大学時代の学生運動や現在のシェアハウスの運営の経験から、なぜ会社はこんなにも理不尽でマッチョなのに瓦解しないのだろうか、と真剣に考えてみました。大塚の串かつ屋で3時間くらい考えました。

そして、会社では給料という名の慰謝料が毎月支払われる確固たる契約があるからではないかという結論に至りました。どんなに生活を拘束されようが、怒られようが、そこをなかなか離れられないのは、お金が発生しているからです。端的に言って、多くの人は、生活あるいは人生の大半をお金という人類の大半が信じ込まされているフィクションによって支配されているのが現状であると思います。

1865年に日本初の株式会社 三菱商事が設立されたうさんくさいあたりから、徐々に人々の生活に入り込み、現在では当たり前となった、サラリーマン/OL、週5労働、ネクタイ、会社、満員電車、残業などに連想される生き方を「社会人」だと考える人は多くいます。もちろんこれまでは多くの人がその社会人に乗れて、それなりに良い生活をおくれてきました。

しかし、職もない、バブルもない、ボーナスもない、この時代において、そこに乗れる人の数は確実に減っています。その割りに、怒られたり、拘束されたり、理不尽を強いられたりと、苦しいことこの上なしです。

基本的には、私は人生は楽しく、美しいであると思っています。
そのため、人生におけるお金の比重を下げる仕組みを作ることができないだろうか、別の形の社会人をもっと増殖できないだろうか、ということが共同運営実験スペースりべるたんの運営然り、私の考えのひとつにあります。人類の多くが信じているお金というフィクション、そのフィクションによる拘束力を弱めることはできないだろうか、と最近は影でこそこそと暗躍しています。

「脱就活」という言葉の定義は難しく、曖昧ですが、この言葉の中には上記のような「人生ってもっと豊かで楽しいんじゃないの」という願望や希望が内包されているのではないかと思います。

就活をしていて何か納得できない気持ちを抱えている人、働くことに辟易している人、あるいは人生楽しすぎてヤバイという人などと一緒に、ぜひ11月3日は東洋大学にお越しいただきたいと思います。脱就活の中身、その先について、楽しく希望あふれるお話が出来る場となることを願い、文章を終らせていただきます。

一人でも多くの方と、11・3脱就活シンポジウムでお会いできることを楽しみにしています。

(「未来なんて関係ない! とにかく今は酒が飲みたいんだ、酒さえあればいいんだ、ひっく!」という荒くれ者の皆様は、法政大学で開催される自主乾杯祭がおススメ)