脱就活シンポジウムの開催が迫ってまいりました。
本日は、脱就活シンポジウムの第二部にご出演予定の農業研修生の小沼克之さんに寄稿文章をいただました!このブログを読んで、一人でも多くの方が「脱就活」に興味を持ってくれれば…と思います。

私が脱就活をした理由
私が就活をしなかったのは就活デモの代表であったというプライドとうつ病であった事と既存の企業に魅力を感じなかった事の三点が主な理由である。

ご存知の方も多いかもしれませんが、私は就活ぶっこわせデモというデモの代表をしていました。
私は既存の就活に異議申し立てを行うという内容のデモを行った以上、既存の就活をしてはいけないと思い既存の就活は行いませんでした。厳密に言うと行いましたが、電話に出なかったり、一次で断ったものもありますが。
このデモに至った経緯と内容は後ほど説明させて頂きます。

私は2011年度にうつ病に苦しめられていました。就活ぶっこわせデモは何とか成し遂げる事が出来ましたが、大学の授業に行くのもやっとで、ほとんどの時間をベッドの上で過ごしました。うつ病になった人にしかこの思いは分からないと思いますが、極度の重力感と心臓の発作などの症状に苦しめられました。そんな状態で就活をするのは困難で、また就活を経て晴れて内定を得てもこの状態ではまともに仕事を行う事は出来ないと思いまして、本格的な就活はしませんでした。
ちなみにうつ病が寛解したのはここ最近の話しです。

私は既存の企業に全くと言っていいほど興味がなかったからです。唯一興味があったのは町工場と商店街の中にあるお店ぐらいです。ただ学生の頃の私はそれらの場所で働くにはどこに応募したらいいのかという情報を知らなかったので、結局しぶしぶ普通の企業に数社応募して数社とも落ちました。

就活ぶっこわせデモをした理由とその総括
私が就活デモを行ったのは自分自身がうつ病で苦しんでいるのに、新卒一括採用という仕組みのせいで、うつ病にも関わらず就活をせざるを得ず、とても苦しかったので、同じように苦しんでいる人達に同じ思いをさせたくないという思いで行いました。
また大学生の本分は勉強であるにも関わらず、大学に就活が侵食してきて、学生が勉強を疎かにして、就職に強いゼミやサークルに入って、就活ばかりに打ち込むのを見て、大学が大学でなくなっている現状に凄く悔しい思いをしたのも動機の一つです。

就活デモをやった事により、何社かが通年採用を始めたり、就活の採用開始時期が12月になったりと細かな変化はありましたが、就活そのものが変わる事はありませんでした。

むしろ就活デモをやった事に対する批判や罵詈雑言が凄まじかったです。特に同じ立場である就活生からの批判が多かったのには驚きました。彼らのためにデモを行うのに、彼らから批判を受けるのなら、制度を変える必要はないのかと思うようになりました。

デモを行ったのにあまり就活に変化が現れず、またデモを行った事による多方面からの批判により私自身も含めて数多くの人間が傷ついたので、これは制度を変えるよりも自分が変わった方がいいのではないかと思うようになりました。

制度を変えようとすると、変化への不安から多くの抵抗にあいますが、自分が変化する分には何ら抵抗は受けません。
また、たとえ制度を変えても救われない人は数多く出てくると思いました。

ならば、制度を変えるのではなく自分自身が変わる事により、世の中に一石を投じようと思い、『反就活』ではなく『脱就活』の道を歩む事にしました。

農業を選んだ理由
私が農業を選んだ理由は主に4つあります。鬱病治療のため、祖父の思いを継ぐ事、まちづくりをしたいと思った事、日本の伝統と文化である農業を守りたいと思った4点です。

私は大学3年次から鬱病と診断されて、薬を飲み続けてきました。けれども一向に回復せず、体調は悪化するばかりでした。鬱病の影響で就活が出来なかったり、酷い時は外出も出来なかったために一時に死を覚悟していました。
このままではいけないと思った私はあるテレビ番組で農業は心の病に効くという話しを知って、試しに農作業をしてみる事にしました。
幸い、母の実家が農家だったためにしばらく母の実家でお世話になり、栗の収穫や雑草刈りなどの農作業を行っていました。
その後も後輩のつてをたどって和歌山の新宮市に行ったり、研修先と遊休地探しのために千葉県の農家さんの下で農作業をしているうちに自分の体調がみるみるうちに回復していく事が分かりました。
デスクワークは当分無理だと思っていた私は将来に絶望していましたが、農作業なら体調を回復させながら、仕事が行える事実を知った私は農業に従事する事に致しました。
今では私は鬱病の症状はほとんどなくなりました。農業に本当に感謝致しております。

先ほども書きましたように私の母方の祖父は米農家を営んでおります。今は市場や農協に出荷するのはやめて、自分達で食べれる分の米や野菜しか作っていませんでしたが、全盛期には養蚕をしたりしてかなりの働き者だったそうです。
私は幼い頃から家族でよく母の実家に行って、遊んでおりました。そこで、祖父の暮らしぶりや自然の豊かさを学びました。
どの農家さんでもそうでしょうが、農家とは単に農作業をしてるだけではありません。地域とも密接に関わっております。
私が祖父の家に行くと大抵近所の農家さんが野菜をおすそわけしに来てくれたり、農家さんではない普通の人も祖父の家に来てはよく祖父や祖母と話しをしていました。
その様子を幼い頃から見ていた私は、東京では隣が誰に住んでいるか分からないのに、祖父の田舎では隣近所はおろか、遠く離れた所からも人がやってくる。東京砂漠にはない豊かな人間関係が形成されていると思い、漠然とした憧れを持っていました。
世間的に農業が大変だという事は知っていましたが、祖父や祖母の様子を見ていると、あまり大変そうに見えず、楽しそうに生きている印象を受けました。むしろ、サラリーマンである父の方が多くのストレスを抱えて、見ていて大変そうでした。
去年の秋に私が鬱病の治療もかねて、祖父の家にいた時に祖母がなくなりました。すると元気だった祖父がかなり落ち込んだ様子で、寝ている時も涙を流していました。ある日、祖父は私に向かって、「俺たちはこんなに頑張ってきたのに、日本の農業は終わりだ。百姓の時代は終わりだ。周りの農家は皆農業をやめているし、跡継ぎもいない。」と言ってきました。祖母がなくなって、気弱になっているのもあるのでしょうが、恐らく常日ごろ思っていた事を祖母が亡くなった事をきっかけに言うようになったのだと思います。
私はこの言葉を聞いて決断しました。祖父の思いをついで、農業をやろうと。日本の農業を終わらせてはいけないと強く思い、農業業界に足を踏み入れました。

私はまちづくりに強い関心がありました。恐らくコミュニティが希薄な東京で育ったために、漠然と祖父の住んでいる地域のようなコミュニティへの憧れを抱いていたのだと思います。
そこで、まちづくりを行っている会社に就職しようと思ったのですが、学生の頃の私はマッドシティーのようなまちづくり会社を知らなかったので、自分の希望の会社がないと思い就活をやめました。
それでもまちづくりへの思いは捨てきれなかったため、まずは地域で生き、地域で仕事をしようと思いました。
それを実現するために松本哉さんのように地域で仕事をする会社を作るしかないと思ったのですが、鬱病であった私はまともに働く事が出来ませんでした。そこで、鬱病の治療も兼ねて農業を始めたのですが、農業はまさしく地域で生き、地域で仕事をする職業なのです。なので、今では農業は天職だと思って、仕事に励んでいます。

最後に私は日本の伝統と文化である農業を守りたいんです。日本は瑞穂の国と言われています。天皇陛下も新嘗祭を行うなど、元々は農業の神様なんです。その日本の農業が今危機に瀕しています。就農人口のほとんどが65歳以上の高齢者で、彼らが死んだら日本の農業を継承する事は困難です。また全国で耕作放棄地が続出して、景観を損なっています。今やらなければ、日本の農業も終わってしまうし、日本中に荒れ果てた土地が続出してしまうのです。それを微力ながら何としてでも防ぎたいと思った私は農業という道を選びました。

今の職に着くまでの過程
卒業後は、知り合いの方の紹介で都議会議員の秘書になりましたが、うつ病が治らないまま、仕事をしたために心臓の発作などに悩まされて、まともに仕事が出来なかったので、職を辞する事に致しました。

しばらく実家で療養を続けていましたが、このままでは一生この状態が続くのではないかと不安に思い、社会復帰のために農村めぐりを始めました。

最初は母方の祖父の実家が茨城県で農業を営んでいたので、何日かお邪魔させて頂きながら農作業を行いました。

また、大学の後輩が大学を休学して、和歌山の新宮市にある農村で暮らしていたので、後輩を頼って何日か宿舎に滞在させて頂きながら、農作業を行いました。

最初は軽い気持ちで始めた農作業でしたが、次第に自分の体調が良くなっている事を実感致しました。

農作業をすると体調が回復するという事実を発見した私はうつ病が回復するまでは農業に従事しようと思い、本格的に農地巡りを開始致しました。

消費地が近いところで農業を始めた方が経営が安定すると思った私は生産高が日本で三位である千葉県で農地巡りを致しました。

具体的には佐倉市、千葉市、東金市、山武市、富里市の農家さんを訪れて、研修先と遊休地がないかを探りにいきました。

いい研修先も土地もあったのですが、まだ都会に近いところにいたいと思っていた私は決心がつきませんでした。

ある日、私が購読していたメールマガジンにて、『agri station festival2013』という日本の農業を盛り上げようという趣旨のイベントが麻布十番で開かれる事を知りました。
そのイベントのイメージキャラクターとなっている方が私と同い年で千葉県の柏市で新規就農をしているという事を知った私は、柏市なら都会に近いし、ここで農業出来るなら最高だと思い、さっそくのその彼にアポイントメントを取ることに致しました。

彼は私のいきなりの連絡にも関わらず、快く受け入れてくれて、真摯に相談に乗ってくれました。
その後、彼の紹介で柏市の農政課の方を紹介してもらい、その農政課の方から柏市で行われる新規就農希望者向けの研修があるという事を教えて頂きました。

そして、その研修に応募して面接などの試験に合格して、今の研修先で農業研修を受けています。

今後の活躍に期待大!の小沼さんの文章は以上になります。

さて、小沼さんも出演する脱就活シンポジウムは11月3日(日)、東洋大学にて行います。学生以外の参加も歓迎です。お気軽にお越しください。

脱就活シンポジウム
11月3日(日)
東洋大学 白山キャンパス 6315教室
13時半 開演
14時 第一部基調講演「就活しないで生きる方法」鶴見済
16時 第二部パネラートーク「仲間と楽しく生き延びるために」
パネラー
いわいゆうき/無職フェス代表、劇団ほぼ無職主催
小沼克之/農業研修生
小野美由紀/フリーライター、編集者(無職を経てブロガーからライターへ)
菅谷圭祐/シェアハウス運営、ライター
大仏/社畜
司会
増井真琴/東洋大学学生
渡辺美樹/東洋大学学生